飯田先生と歩く平和ウォッチング

まだまだ残暑のきびしい9月14日、大阪労連北河内地区協議会主催の「飯田先生と歩く平和ウォッチング」に参加しました。ナビゲイターは、大阪コリア協会の飯田光徳先生です。

阿波座

阪神高速の太い橋脚、聳えるタワマン、ふだんの阿波座は通り過ぎるだけの地名ですが、幹線道路からちょっと中に入ると、緑のほっとする広い靱公園もあります。

この辺りは、豊臣の時代に阿波藩主蜂須賀家の大坂屋敷を拠点に徳島商人が商いを手がけていたとのこと。江戸期には徳島産の藍染めの藍、木材、砂糖が評判だったとか。明治期には、川口に中国人が多く移り住み、阿波座駅北側には現在中国領事館もあります。

江之子島の大阪府庁跡

大阪府立江之子島文化芸術創造センター、このあたりはもともと海で、この場所も江之子島という島でした。ここに大阪府庁舎の2代目が建っていました。明治7年イギリス人が設計した煉瓦造り2階建、白亜の西洋館、延べ床面積2300坪というから、壮観だったことでしょう。残念ながら戦災で消失、今は津波高潮ステーションになっています。大阪港に向けて建てられ、世界を見据えていたのだとか。現府庁舎は3代目、きちんと後世に残していってほしいものです。

朝鮮通信使水上パレード

朝鮮通信使とは、江戸時代に12回来た李氏朝鮮からの使節、500人規模の外交団です。秀吉の朝鮮出兵で損なわれた両国間の信頼関係を深めあう目的があったそうです。

瀬戸内海から大阪港に入った一行は、川御座船(300石船)に乗り換え、100隻の随行船を従え土佐堀川を水上パレード。難波橋から上陸、堺筋を南下して迎賓館だった西本願寺津村別院(北御堂)で宿泊したようです。

道中、旗をはためかせ、あでやかな衣装に楽隊の珍しい音楽や道化役者の芸、一行は豪華絢爛を極め、数十万人の見物があったとのことです。筆者は天神祭をイメージしましたが、4万人に引かれて、京都まで淀川を上ったとのこと、もう想像の域を超えてしまいました。

九条島の松島公園に、通信使の碑が建てられています。

川口居留地と川口教会

木津川橋を渡って、川口へ。その名のとおりここは、川の口、もともと海との境、大阪の玄関口。明治期に居留地が設けられ、欧米人の洋館が立ち並ぶ町が作られたとのこと。その後、欧米人たちは神戸に移住するようになり、跡地にキリスト教会やウイルミナ女学校・永生女学校・聖バルナバ病院などが建てられました。今の大阪女学院・プール女学校・桃山学院・信愛女学院などにつながる「大阪近代教育発祥の地」です。

川口協会の向かいにある喫茶店「水鯨」、コーヒーがおいしいとか、若者が3人並んでいました。すでに30分待ちとのこと。

キムさんの墓、竹林寺

朝鮮通信使の一人、金漢重(キムハンジュン)さんが、長旅の疲れか、体調を崩し療養むなしく、22歳で亡くなりました。本国には妻と二人の子がいたとのこと。古地図にも名が残る竹林寺には、彼の墓があり、大切に守られています。

渡船体験 落合下渡船場

市バスで「ドーム前千代崎」から「中央中学校前」へ、大正区に入ります。バスの冷房がありがたい、ほっと一息。工場群の間を落合下渡船場へ移動。木津川をはさむ大正区平尾と西成区津守を結ぶ渡船に乗ります。流れも透明度も、ほぼない木津川、体長5・60センチはありそうな魚を見つけました、ボラか?真っ黒の鵜も水面ギリギリに低空飛行、船は気持ちいい。実は、筆者実家近くにも渡船(松山・三津の渡し)があり、幼稚園の頃からお世話になっていました、懐かしい。

リトル沖縄 サンクス平尾で沖縄みやげ

大正区民の四分の一が、沖縄にルーツがあるとか。歩きながら表札に沖縄っぽい苗字をよく見ます。掲示板にはエイサーまつりのポスターも、たしかに「リトル沖縄」です。中心にあるサンクス平尾のアーケード街は、土曜というのにほとんどシャッターが降ろされ、中には空き地になっている区画もあります。十数年前まで賑やかだったという話、「大阪の成長を止めるな」のポスターが虚しい。気を取り直し、沢志商店で沖縄みやげを購入、サーターアンタギー・ちんすこう・生姜糖、しめて1180円。

うるま御殿で昼食、うるま定食900円、バイクのためビールは遠慮。夜開演の島唄ショーもサービス、ありがとう、楽しかった!

IKEAの行き帰りに通るくらいで、ほとんど大正区のことを知らない筆者でしたが、歴史・地理・文化について縦横無尽に語っていただいたナビゲイターの飯田光徳先生に大感謝です。ありがとうございます。